稽留流産の診断を受けた約3日後、自然排出をきっかけにとんでもない激痛の日々が続き、尚且つバンドもいつの間にか解散、解散の翌日に緊急入院(初めてのガチ入院で緊張の日々)という比較的心身ともにハードスケジュールをこなしていたためかどうかはわかりませんが、自然排出後に「流産をした悲しみ」というものはあまり感じなかったわたし。
でも、やっぱりきました。悲しみのビッグウェーブが。
乗りたくない!!この波に!!!!
ということでわたしが苛まれた(苛まれている)流産後の悲しみ、「わかるわかるってちょっと寄り添えたら良いな」という気持ちでつらつら書き綴ります。
流産の悲しみ「何がつらい?」
流産した何が悲しいって、自分の中に宿った最愛の人との命がすっぽりといなくなってしまったことです。ここに時間は全く関係ない。初期だからよくあること、なんて全然関係ない。
わたしの流産の悲しみの根本はこれです。
心に穴が開くって精神的な言い回しが、肉体的にもほんとにぽっかり穴が開いてしまったように感じてなりませんでした。
そして恐ろしいことに普通に生活していてたくさんのつらいがどんどんくっついてきます。
妊婦さんや赤ちゃん・子ども見るのがつらい
とにかく、視覚からくるダメージ力はマジでハンパない!
・「どうしてわたしだったのかな…」
(医学的にも仕方のないことなんだよ?)
・「幸せそうでうらやましいな」
(わたしもそういう時期あったんだよ?)
・「あの人たちはこんな悲しみ知らないんだろうな」
(もしかしたら流産の経験だってあるかもしれないよ?)
妊婦さんも赤ちゃんも子どもたちも、なーんにも悪くない。わかっているけれど、流産につながっている事柄はほんとにチクチク痛くて、しばらくはなんでもないフリをする自分に疲れてしまいました。
メソメソしている自分がつらい
流産した赤ちゃんのことをふと考えるたびに、ツツ~っと涙が頬をつたう。嫌でもぶり返すこの悲しみ。
悲しいなんて誰にも言いたくないから家でメソメソ。ひとりでメソメソ。
でも夫はこの陰気に気が付いている。申し訳ない。
…みたいなこの感じ。自分を根ポジストだと信じてたので余計つらかったです。
この悩みを隠しても良くないと思い、ある日夫に「こうこうこうでわたしとてもツライ!悲しい!」と正直に伝えたらめちゃくちゃ優しいパーフェクトに良い返事が返ってきました。(忘れたけども。笑)
悲しさを自分の中でできるだけ整理してから聞いてもらうことって大事だなって気づかされました。あと夫のスーパー(パー)フェクトな優しさ。
TVも街にもすべてに攻撃されてるかのように感じる
これはもう悪い妄想爆発ですね。
幸せそうなやつら全員$△×?◇%!!!とまではいかないですけども、近いものはありました。
嫌でも目に、耳に、入る情報の暴力さ。
それを暴力だと感じてしまう、心になっているということ。
流産の悲しみは乗り越えなくていい
わたしにとって流産を経験したって事実はどう頑張っても消えないし、無視できることじゃない。
何より短い間でも小さな小さな命でいろんな経験をさせてくれた赤ちゃんのことを考えると、今は(この先ずっとつづくとしても)悲しみを乗り越えなくていいかなって思います。
この悲しみ事まるまる受け入れてちゃおう。きっとずっと、思い出して泣いてしまうとしても。
自分を責めないこと
わたしは妊娠初期にバンドも割とハードに活動していました。妊娠がわかってから遠征にも行ったし、ライブもたくさんやった。
でもそのことで自分を責めそうになった時、それは違うと感じました。だってその時その時で自分が大事にしたいものを自分のベストで大事にできたから。
自分を責めたら迷惑をかけた人たちにも申し訳がたたないもの。
何より、流れてしまった赤ちゃんがわたしを選んでよかったなって誇れる自分でありたい。
おわりに
悲しみのパワーってすごく大きくて、どうにか手を伸ばさないとどんどん沈んでしまう。
状況や想いも違うから感じる悲しみだって人それぞれだけど、わたしは自分をほめてあげたいです。
だいじょうぶだよ、と言ってあげたい。